2010-01-09
国宝「松本城」です
姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつ
2回目の松本城ですが
お城好きの私には何度来ても感激です
現存の天守閣のなかでは、犬山城天守閣、丸岡城天守閣に
次ぐ3番目の古さをもっています。
幾たびかの存続の危機を市民の情熱により乗り越え、
四百余年の風雪に耐え、
戦国時代そのままの天守が保存されています
明治の大改修後の昭和11年、
国宝に指定されました
(昭和27年再指定)
別名
深志城とも呼ばれています
松本城は室町時代末期の永正元年(1504)、
この地方に大きな勢力を持っていた小笠原氏一族の
島立貞永に命じて築城させたもので、
以後、小笠原氏の居城となり
、「深志城」と呼ばれていました
戦国時代の天文19年(1550)甲斐の武田信玄は
時の深志城主小笠原長時を追放して、
この城を信濃への進出の拠点としました
その後、天正10年(1582)のいわゆる「武田崩れ」
及び本能寺の変後の混乱に乗じて、
小笠原長時の嫡男小笠原貞慶が徳川家康の後ろ盾により
深志城を取り返し、
城の名も「松本城」と改めたそうです
天正18年(1590)に豊臣秀吉は、小田原城に北条氏直を
下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。
このとき松本城主小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、
石川数正・康長父子が代わって入り、城と城下町の整備を進め、
松本城を現在の形に築いたのは
石川数正によるところだといいます
天守の築造年代は文禄2年から3年(1593~4)といわれています
黒い城、赤い橋がなんとも言えません
そして
天守を上るときの急な階段は国宝の見所ですね
水堀に浮かぶ天守閣
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2010-01-09
諏訪大社(すわたいしゃ)です
新年の神社巡り
(下社秋宮)
長野県の諏訪湖の周辺に
4箇所の境内地をもつ
神社です
全国各地にある
諏訪神社の本社で、
国内にある最も古い神社の一つとされています
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諏訪湖(すわこ) 信州で
最も大きな湖です
長野県岡谷市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町にまたがる湖
夏には全国でも有数の規模を誇る花火大会があります、
4万発もの花火が夜空と湖上に光の華を咲かせます
8月上旬~9月上旬の間、諏訪湖畔では
毎晩花火の打ち上げが行われるそうです
冬の厳寒期には、氷がせり上がり亀裂の帯をつくる
「御神渡(おみわたり)」現象現れます。
こんな感じらしいです
これは上社と下社(諏訪大社)の神様が
出会うために渡ると信じられ、
大切な神事になっています
今日は天気も良かったため
諏訪湖の上に
浮かぶ富士山が見えたときは
感動でした
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2010-01-09
諏訪大社春宮から徒歩5分位のところに
ちょっと変わった石仏知る人ぞ知る!
「万治の大仏」
大きな体に
小さなお顔
画家の岡本太郎が諏訪大社御柱祭に訪れた時に、
「こんなにおもしろいものは見たことがない」
と絶賛したことから万治の石仏の存在が知れ渡ったそうです
有名になるまで万治の石仏は田んぼの中にただあるだけで、
地元の方からも忘れられていた存在だったそうです
350年ほどに前に(万治三年と銘がある)
誰かが作った高さ2メートル余の大仏
この大仏様の周りを回回るとご利益があるとか…
一応回ってみました
写真家が毎年撮った写真を見たところ、
首が伸びている事が分かったそうですよ
本当かなぁ~
あの小さなお顔は忘れません
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2010-01-09
高島城 諏訪湖の近くにあります
約400年前に豊臣秀吉の臣下、
日根野織部正高吉に
築城された高島城
築城当時、諏訪湖の水が城際まで迫り壕の
役割を果たしたことから難攻不落を誇り、
別名を「
諏訪の浮城」と呼ばれていたそうです
現在の天守閣は昭和45年に復興されたもの。
1・2階は郷土や高島城の資料室に、
3階は展望室でした
3階からの
諏訪湖一望は絶景です
富士山も見れました
城内は桜や藤の名所としても名高い公園になっています
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